Profile


三原啓司
柄杓師 / 伝統工芸師

昭和32年(1957年)生まれ
三原敏康に師事・大学卒業後、二十二歳で家督を継ぐ

40代はじめに県指定伝統工芸士に認定
竹芸家・柄杓師・茶杓下削り師として活躍

昭和59年(1984年)
奈良高山茶筅組合を通じて皇太子(現裕仁天皇)に茶杓を献上 称名寺村・田珠光の代表的な茶杓「笹の葉茶杓」の写しとして製作

平成5年
柄杓で伝統工芸展入選奨励賞

平成6年
蛇腹花入で知事賞受賞

平成5年.6年7年
高島屋個展

平成6年.7年. 8年
MOAギャラリー個展

令和元年11月
バッキンガム宮殿で開かれた茶会で、エリザベス女王に献上された白竹花入と茶杓(共筒・箱)を作成。

茶杓書付は大徳寺長老・箱書きは武者小路千家・千宗守様

※写真はバッキンガム宮殿の現地のもので、花入・茶杓も献上した品の現物の写真となっています。武者小路千家様から頂いたお写真です。
※蛇腹花入は茶家の方にご所蔵いただいています。

三原工房

昭和18年
三原敏康 竹工房三原創業(久保竹外に師事し、柄杓師として独立)

営業品目

柄杓 / 茶杓 / 花入 / 箸 / 楊枝 / 水屋道具 / 竹の茶道具・煎茶道具全般

三原啓司 修行時代

鋸をリュックに入れ、毎年一ヶ月〜二ヶ月ほど四国の山に入って竹を採取するという修行を十八歳〜二十代半ばまでしておりました。穴吹竹材さんの創業者である山本正孝さんのお世話になり、穴吹竹材さんを拠点に、竹藪に入って竹を見る、自分で材料を調達する、といった実地の勉強をさせていただきました。

1970年ごろから、関西地区で一斉に竹の花が開花し、竹が枯れはじめた時期で、四国の方へ良い竹を求めて調査、採取にでかけ、年間必要な量の竹を採取する必要があったためです。

当時は、お茶関係の道具は飛ぶように売れ、竹の茶具は作っても作っても足りない時代でした。2トン車、3トン車に竹を山盛りにし、四国から奈良まで自分でも運んでいました。多い時で、茶杓の筒の太さの竹だけでも、年間に二千本〜三千本を扱っていた時代でした。

徳島の山と川辺

二十歳代はそのようにして、たくさんの製品を作ることで腕を磨くことができたのは幸いでした。四国の山の急斜面や川のそばにある竹を見ることで、それぞれの場所にある竹の特徴を学ぶことができました。そうして、自ら山を歩くことで質のいい竹を見分ける目を養うことができ、三十代前半には早くも個展を開く技術を持つことができました。

四国の山は険しく、山に入るのはたいへん厳しい修行でしたが、自分の目で山の竹を観察し、実際に使って製造することで、竹を見る目が養われ、より雰囲気のある商品を作れるようになったと自負しています。

当時、十三代黒田正玄さんへの憧れもあり、また、正玄さんの製作する竹の茶具が茶道会の茶具の基本として認知されているため、正玄さんの背中を見て、追いつきたい、それ以上の品物を作りたい、という思いで勉強をしておりました。現在も正玄さんの作品に準ずる品を作れるようにと、研鑽に努めております。

そうして、様々な茶道会の諸先生方や、道具関係の皆様からの応援とご期待があり、それはたいへん大きなプレッシャーでしたが(現在も同じですが)、関係者の皆様から貴重な資料を見せていただく機会も多々あり、そういった親身なご指導をいただけたことは何物にも代え難く、たいへんよい勉強をさせていただきました。

茶家の方のご依頼で三原啓司考案の茶杓。ほかには見られない形。

現在は次の世代に文化として伝承したいと思い、若い方々との交流を大切にし、勉強会の要望にもお応えしております。益々のご愛顧いただければ幸いです。

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